事業内容

  • 発達障害分析/判定と症状の改善トレーニング開発
  • 学習障害児童の発達支援トレーニング開発
  • スポーツビジョントレーニング開発

代表者プロフィール


松谷 秀巳(まつたに ひでみ)1962年9月生 神戸市出身 鳥取大学工学部 機械工学科卒業。

2002年までシステムエンジニアとして、商社や電気メーカーに勤務。長時間労働と目の左右差から極度の疲労状態になり、うつ病を発症。仕事仲間から紹介され「ビジョントレーニング」に出会い、改善される。2003年、システム開発会社設立。100名超のエンジニア組織を管理。2009年、東京都品川で視覚トレーニング事業開始、250名に個別指導。2011年、ビジョントレーニングを生かしたボートレーサ試験対策予備校設立、狭き門である合格者の80%を予備校より送り出す。2018年、倒れた母親の介護のために品川の店舗を閉鎖、実家の兵庫へ戻る。2020年、アイビジョン視覚発達研究所設立。

保有資格;工学士、ビジョントレーニング一級トレーナ(一般社団法人メンタルウェルネストレーニング協会認定)、瞬読一級トレーナー(一般社団法人 瞬読協会認定)

趣味:ビジョントレーニング、ジムトレーニング、テニス、剣道、合気道、合唱、速読

座右の銘:『為せばなる為さねばならぬ何事も成らぬは人の為さぬなりけり』

はじめまして。アイビジョン発達研究所の松谷 秀巳(まつたに ひでみ)です。私がどのような人間なのか、この場で少しお話させてください。

私は幼少期より視力が悪く、左右差も大きかったため、極度の運動音痴でした(左0.01、右0.1)。

小学校時代の体育の成績は6年連続「1」。分厚い眼鏡をかけた運動音痴で、まるで「リアルのび太」でした。目が上手く使えないため、転んだりぶつかることが多く、ケガが絶えませんでした。両親が心配して、体操教室に連れて行くも、いやでいやでたまらず、運動音痴の改善には全くつながりませんでした。

友達からはからかわれ続け、周囲から完全に孤立。いつもひとりぼっちでした。友達がいないことがとても恥ずかしく、親や先生に知られないために、友達が遊ぶ近くでひとりで走り回り、「みんなで遊んでいるふり」をして過ごしました。また遠足などの学校行事では、クラスメイトから外れてひとり遊びに夢中で迷子になることもしばしば。誰も私に気をかけないため、気づかれないうちに行方不明になってしまったのです。とても孤独で屈辱的な小学生時代を過ごしました。

中学に入って、卓球部に入部するも、1ヶ月で挫折。運動コンプレックスが強く、「他の人と同じことをしても自分は同じようには評価されない」という強い劣等感を持つようになりました。

大学時代には劣等感がますます強くなり、サボりがちになりました。「自分は人と同じことをしてもダメだ。どうやったら、自分は評価されるのか、自分の強みはどこにあるのか」そう思いながら過ごす日々。大学を3年も留年し、退学寸前だったのです。目は悪かったのですが、本を読むのが好きだったため、新しい知識を取り入れることで自分の個性を何とか発揮しようとし始めました。そんなときに素晴らしい数学の先生との出会いから、数学に対する苦手意識を克服することができました。また、大学の研究室にあったパソコンをいじって遊ぶことでプログラミングの基礎を独学で学ぶこともできました。そして、7年かけてようやく大学を卒業したのです。

大学卒業後は機械設計エンジニアの職に就きました。会社でパワハラを受ける中、反骨精神から「劣等感のび太」は成長モードに入りはじめます。入社して10年目に独立、フリーランスエンジニアとして活動を始めました。ところが、長時間労働と左右の視力差で極度の疲労状態になり、うつ病を発症。

このときにエンジニアの先輩からすすめられ、「ビジョントレーニング」に出会ったのです。ビジョントレーニングの効果でうつ病を克服、視力も向上。左右の視力差は全く同じにはなりませんでしたが、目と脳への負担が大幅に減少しました。驚くほど仕事の効率が上がったことにより、ヘッドハンティングされ、気づいた頃には100人を超えるエンジニア組織を管理する立場に。このとき、年収は1200万を超えていました。幼少の頃のことを考えると、信じられないようなことです。

その頃、仕事仲間と社内のソフトボール大会に出場。このソフトボール大会が私の運命を大きく変えることになります。私は極度の運動音痴であるリアルのび太。目の悩みが改善されたとはいえ、心のコンプレックスは残ったまま。

「さすがに球技は無理なのでは」と抵抗を感じつつ、人数合わせくらいの気持ちで参加。「自分のところにボールが飛んできませんように」と祈りながら。ところが、運命のイタズラかのようにフライのボールが私のところへ飛んできたのです・・・

「獲れた!」

なんと、ボールのキャッチに成功したのです!普通の人からすれば、平凡なフライを獲っただけ。ところが私には大事件でした。体育の成績は6年連続「1」。友達にからかわれ続け、屈辱的だった日々を過ごしたリアルのび太少年にとって、このできごとがどれだけ感動だったことか。そして、なんと、私はこの試合で大会MVPを獲得。この日の喜びを今も忘れることができません。

さらに、運命を変えるようなできごとが続きました。ようやく充実した日々を送れるようになった2008年、世界はリーマンショックに大きな打撃を受けました。その影響で会社組織は大きく変わりました。仕事仲間から一緒に新しい部署へ来ないかと誘われたましたが、このとき、私の中ではソフトボール大会でのフライキャッチの感動が静かに湧き上がっていたのです。

「あの感動を小学生の頃の私に届けられるとしたら?」心の声が聞こえてきました。

運動音痴でコンプレックスの塊だった幼くて弱々しいあの頃の自分、助けを求めたくても求められなかった自分。私と同じように苦しんでいる子どもたちの未来のためにできるこがあるのではないか、と。

かたや、死ぬほど努力して、やっとの思いでたどり着いた年収1200万の安定したエンジニア人生。これを捨ててまで、ビジョントレーニングで起業するのか? 私の答えは・・・

YES!

私の決意はゆるぎないものでした。翌年2009年、高収入で安定したエンジニア人生を終わりにし、東京品川で子ども向けのビジョントレーニング教室を開きました。個別指導で250名の子どもの目の悩みを解決しつつ、学習効果の向上にもつなげてきました。また、2011年には震災の混乱の中、ビジョントレーニングを活かした日本初のボートレーサー(競艇選手)に特化した予備校を立ち上げました。

品川のトレーニング教室での様子

その後の2018年、品川のトレーニング教室を閉鎖し、私は実家の兵庫へ戻りました。母が倒れ、介護が必要になったのです。母の介護の傍ら、スポーツ指導者や、中学生の野球チーム、高校剣道部、プロボートレーサーなどのビジョントレーナーとして活動開始。そして、2020年10月、改めて自分の原点に戻り、ビジョントレーニングを通して、発達や学習に困難のある小学生の子どもたちのサポートをしようと決意したのです。それを見届けたかのように、母は2020年12月に他界しました。

ビジョントレーニングは私の人生の道標です。ビジョントレーニングに出会うまで、幼少の頃から原因もわからないまま、多くの困難に直面し、心理的に差し迫った状況に追い込まれてきました。目は視力ではありません。筋トレのように目の使い方を鍛えてあげることができれば、私のようなたくさんの困難や深刻な心理的ストレスを避けることができ、今までなかった世界が目の前に広がるようになるのです。

子どもたちは小学校に入学することで「保育」から「教育」という大きな環境の変化を体験することになります。「1年生の壁」とも呼ばれ、学校での生活や勉強になかなか馴染むことができません。そんなときに、「まだ一年生ですから、もう少し様子を見ましょう」と先生から言われることも多いものです。

多くの場合、成長とともに心配な点は減っていきます。ところが、ある子どもたちは、「落ち着きがない」「宿題をやらない」「漢字が書けない」「物をなくす」「忘れ物をする」「運動が苦手でついていけない」「板書を写せない」など、お母さんや先生から見ると「困った」点がどんどん目につくようになります。これといって具体的な対策がないまま、「そのうちできるようになるかも、もう少し様子を見よう」が続きます。

子どもたち本人はなぜ自分がそうなってしまうのか分かりません。周りからいくら「ちゃんと集中して」「字を丁寧に書いて」と言われても、目が上手く使えないのでは、どうすればいいのか分かるはずもありません。できる人と同じように見えていないからです。この「やりづらさ」は「できる人」にはなかなか理解し難いものがあります。

ところが、大人としては、「子どもに足りていないものをどうにかしてやらせる」という発想になってしまいます。 それでは、子どもたちの眠っている能力を伸ばすことができません。子どもたちからすると、何がいけないのか分からないまま、ずっと周囲から叱られたり、仲間はずれにされ続け、自信を失ったり、劣等感を持つようになっていきます。目が上手く使えないという困難に加え、自尊心を持てないというダブルパンチを食らうことになるのです。こうした子どもたちに気づかないまま放置すると、私のように将来大きな困難や障害を引き起こすことにつながりかねません。

私は過去10年、ビジョントレーニングを通じて確信をしていることがあります。それは、このような困難を持つ子どもたちにまず必要なものは「愛」だということです。周りがそのままの子どもを受け入れ、一緒に向う決意をすることで、子どもちたちは乗り越える心の準備ができるのです。

その上で適切な目のトレーニングが初めて効果を発揮します。目は筋力ですから、トレーニングをすることで多くの困りごとを解決することができるようになるのです。もちろん個人により、効果の出るペースは異なりますが、その子なりのペースで確実にひとつずつ前に進んでいくことができます。

子どもたちが自分の力で未来を切り開けるようになるためには「愛」と「Eye(目)」が大切だと考えています。そんな想いから「アイビジョン視覚発達研究所」と名つけました。

簡単には乗り越えられないこともあるかもしれません。お母さんが心折れそうになることがあるかもしれません。それでも、親子で協力して向き合えることができれば、未来というビジョンを大きく広げることができると私は信じています。そんなお子さんとお母さんのために生涯を捧げることができれば本望です。

最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

                      2012年12月31日 アイビジョン発達研究所 松谷 秀巳